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2006/08/24

生と死 その3

 お盆が終わりまして。地獄の釜も通常営業に戻ったことでしょう。

 お盆といえば亡くなった祖先の霊を家にお迎えして、そして帰っていくのを見送る行事。私の出身地ではお墓にお迎えに行くときは、お墓に行きお墓を清め、線香や花をあげたり、大きな家では灯籠を立てたりし、そこで白樺の皮を焚いて帰宅する。白樺の煙が霊魂の道しるべを作るのだという。家へ帰るときは人をおぶう格好(両手を後ろで組む)をするのがしきたりだ。そして何故かはわからないけれど、墓から玄関にたどりつくまで口をきいてはいけないと言われていた。田舎なので人とすれ違えば8割方知りあい。普段なら立ち話でも始まりそうな親しい人たちと行き合っても、軽く会釈するだけで家へと急ぐ。そして玄関でおぶっていた「先祖の霊」を降ろしたら「お迎えの行事」はおしまい。

 さて、1年に1度、この先祖の霊を家に迎える行事というのは、毎日の日課として仏壇に線香と白飯を上げて手を合わせるのとはちょっと違う。ナスとキュウリで牛と馬を作りながら亡くなった人の思い出話をしたりする。親戚が集まり、血のつながった集団としての確認をしたりもする。冒頭で触れたようなしきたりを子供たちに伝えていったりする。

 そうする事で死んだ人の命を伸ばす事になるのだ。

 今、私の家の墓には祖父母と父が埋葬されている。もし母が亡くなったらそこに入るのだろうし、私もそうなのかもしれない。
 けれど、ここで問題。
 私の下の代がいないのだ。
 つらつらとお盆の話など書いてきたけれど、私は別段仏教徒ではないし、かといってその他の神様に帰依しているというわけでもないので、帰る家が無いとか、誰かがお参りしてくれなかったら極楽へ行かれないと心配しているわけではない。ウチの菩提寺、曹洞宗だしね。

 では、何かというと、ここからが本題。
 今の日本では死ぬと死体を焼かなければならないので、「土は土に、塵は塵に」というわけにはいかない。そうなると、なんか、自分が、自分の死体がもったいないのだ。偲んでくれる親族がいればいいのだろうが、今はそういう状態ではないし、おそらくこれからも私よりも直系の、つまり墓を守る「下の代」が出来る事はないハズだ。(90%以上の確率で、おそらく)おじいちゃん、おばあちゃんにはホント申し訳ないんだけどね。

 ぼうっとそんなことを考えていたら、一つ、自分が死んだらこうして欲しい、というのが一つだけ浮かんだ。
 私はテトラポットになりたい。
 まあ、形にはこだわらないので、三角だろうが、円柱だろうが、その辺はどうでもいいんだけど、骨をまぜたコンクリで形を作って、それが私の墓であり墓標でもあり・・・そのうち波にけずられて無くなってしまう、そんなのがいいな、と。
 そして、できるなら、・・・本当にできるならば、なんだけど・・・沖ノ鳥島の防波堤の一つになりたいと。日々かなりいい加減に生きて、つまらない事を考え、無駄な事ばかりして、ほぼ世間様の役にたたないで生きているけれど、そうしたらなにがしか、お役にたてるのではないかな、と。ね。
 売名行為なんかではなく、全く、ただ、そうできたらというだけなのだけれど。
 墓地でないところに骨をうずめることができないのは知っているけれど、あそこ、人、住んでないわけだし、できなくはないかなあ、と思って。重要なのは基本的に墓参禁止。ただ、もし私を覚えていてくれる人がいたらあの島の岩の一つになったんだなあ、と、ほんの少しでも思い出してもらえれば、壺に入れられて、そのうち誰のものかもわからない墓の中に取り残されるよりずっといいや。

 そんな事を思い、この間母親に話したら、
「墓参りに行くのが大変そうだから、私が生きているうちにはやらないでくれ」
 と言われた。
 だから、墓参りされないためにそうしたいって言ってるのに。第一、私の希望は受理されはしないだろうし、万一受理されたとしても、結構面倒な手続きがいりそうだ。
 そして、母子の会話はループしていったのであった。

 まあ、私もイイ歳をして賽の河原で石を積んだりしたくはないので、せいぜい母親が生きているうちはなるべく私は死なないようにしないといけないなあ、とあらためて考えた。
 仏教徒ではないから、賽の河原にさえ行かれないかもしれないけれど。

生と死 その1
生と死 その2

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