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2006/08/13

生と死 その1

 今回のBLOOD+で色々なキーワードが出て来たので、普段私がどんなコト考えながらどんなコトしてるのか、みたいな話をしてみたいと思います。
 重い話がニガテな方はスルーしてくださいね。

 BLOOD+44話に出て来たシチュエーション、カルマンが見たイレーヌの影。それを見て彼は「生きている意味はわからないのに死ぬのが怖い」と感じていた心の悩みから一歩踏み出したワケですね。誰かの心の中にあれば、覚えていてもらえればその間は本当の死ではないのだ、という事です。

 一時期話題になった書籍「ソフィーの世界」では、こうして「現実世界」に生まれ、成長し、死んでいく存在と、「虚構の世界」もしくは「過去の存在」でしかないけれど、永遠に近い輝く生命を得るということとの比較を、哲学の歴史を見ながら「生きるという事」はどういう事なのか、という、おそらく私達がまず、絶対に手に入れる事の無い真実への鍵のひとつを見せてくれます。

 続きは↓を。ちょっと文体も変えて、いつもとは違う感じで。

 「生と死」の概念は、時代、宗教、立場によって変ってくる。

 人命は地球より重いのか、それとも現世での生は死後の安寧のためにあるひとつの過程でしかないのか。それだけでも、よくよく他人の立場にたって考えると世界は違って見えてくるハズだ。
 宗教の戒律にほぼ縛られずに生きている現代日本人は、何故「神」のために一生をささげ、質素な生活を送り祈り続ける人生を選ぶ人々がいるのか、「神」のために自分の命を捨てる人がいるのかについて深く考える機会はあまりないだろう。
 しかし、宗教が生活の基盤である人たちにとってはとても重要な選択であり、本人だけでなく家族や友人にまでその影響は及ぶのである。
 残念ながら私は、誤解を避けてこれ以上深い文章を書く自信がないので、具体例を挙げるのをやめておく。

 話を変えて。

 私は様々な素晴らしいもの。文章、絵画、造形物、舞台、人でいうならばクリエイター、エンターテイナー等に出会ったとき、表面そのものに出て来ている素晴らしさを受け取ると同時に、そこに関わった人の命を感じとる。
 多くの人たちに感動を与える事が出来る、その人たちの才能、努力、その他、もろもろ。
 そしてこの感動を(直接的であれ、間接的であれ)受け取った人たちの心の中に何かが芽生えたとすれば、その「何か」が完全に消え去るまでは、発信元である個人が万一亡くなってしまっていたとしても、数百年、数千年前の人だったとしても、その生命は力強く、生き続けるものだと。

 現世で、生体活動としての生の時間は、人によっては数秒かもしれないし、100年以上を生きる人も居る。
 しかし、能動的に生み出される生は、更に大きな幅を持って生き続けて行くのだと考える。私はそういった意味での長い生命を許された人たちに憧れ、かつ羨ましく思う。
 何か。いつか私の「何か」が、私の寿命を超えてどこかの誰かの心に命を持つ事を許されたなら、わりといい加減な私の人生(現時点w)も、それに協力してくれている人たちも、いくらかの輝きを持って生き続ける事が出来るのだと・・・「神」を、信仰を持たない私は、そんなか細く儚い夢を支えに生きている。

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